私たちの存在意義とは

私たちの存在意義とは

 

 私は今年の夏、自分の作品としてチョゴリを作った。

チョゴリとは朝鮮の民族衣装である。

私は昔から世界の民族衣装が好きで、中でも私の祖国である朝鮮の服は色合いや生地、模様、形、全てにおいて好みである。現在着られているチョゴリは華やかな物が殆どだ。

だが今回のは、くすんだ色をしていてパッとしないものだ。そればかりかチマ(スカート)はズタズタに裂かれており、どこか不気味さを感じる彼岸花が描かれている。極めつけは背中部分の新聞紙。民族衣装に新聞紙なんてナンセンスだ。

そもそもチョゴリは私達にとって、特に女学生にとってとても身近な存在なのである。というのも女学生は毎日学校につくな否や学校生活の殆んどをチョゴリで過ごす。

この事を知る日本の方はそう多くは無いであろう。

このように私たちにとってチョゴリは日常的で、朝鮮学校の象徴と言っても過言では無い。

今回の制作で一番手こずったのはそんな日常的な物をいかに個性的に作ることが出来るか、そして何を伝えたいのかだった。

私は「韓国籍」である。

だが、小学生までは「朝鮮籍」であった。

私は韓国籍に変わる時、父に書類上は変わるが人として変わることは何もない、と言われた。

私は少し嫌だった。友達は韓国籍が多かったが朝鮮籍を継続している友達の家族もいたからだ。

私たち「在日」は過去の歴史を証明するものであり、それを次の世代に伝えるものだ。

そのためには自分のルーツをよく知り「在日」の存在意義を認識する事、そしてそれを発信する事。「在日」がそして「私」が1つの主体として成立することである。

そういう意味も込め、この作品は「独立」と名付けた。

ちなみにチョゴリに描かれた彼岸花の花言葉も「独立」である。

私は必ず彼岸花を入れたかった。雨にも負けず風にも負けず、まっすぐに立つ彼岸花は今の日本に住む上で偏見や差別と闘う「在日」にそっくりだと思った。 そしてあの独特な雰囲気を放つ風貌にどこか惹かれた。しかし実際の彼岸花を使うとなると、すぐ枯れてしまうのが目に見えていた。

私は買ってきた既製の造花を自分なりに工夫を凝らし彼岸花の形にした。これが思ったよりなかなかの出来でモチベーションが上がった。

私は日暮里の繊維街に日々通いつめるようになった。

まず生地の種類の多さに驚愕した、と同時にいい生地を選ばなければと不安が募った。今まで裁縫に縁が無かった私は迷いに迷った。計5回の下調べの末、チマの素材は麻に決まった。朝鮮の民族感を出したかったし、単純に涼しそうだったからだ。

そしてどうしても涼しくなければならなかった。この夏、私がこの作品を着てパフォーマンスを予定していたからだ。

いよいよ製作だ。

私はかろうじてミシンが使えるくらいだったし、ましてや服なんて作ったことが無かったので自分なりに試行錯誤するしかなかった。チマをより膨らませようとプリーツを作ったり、パニエも作った。そうして出来上がった物に彼岸花を付けた。

しかし所詮素材は麻。正直インパクトのある作品とは到底言えなかった。

なにか豪華絢爛なモチーフでも飾ろうか、華やかな布でも巻いてやろうか。回りに回って結局たどり着いた物、新聞紙の登場である。

インパクトを求めると言う事は安直な考えを捨てることだと思った。

しかも普通の新聞紙ではなく、全て朝鮮語で書かれた新聞紙。それを背中部分一帯にぎっしり貼った。その上から日本語で「我々の存在意義とは」という文字を貼った。私がこの制作において一番伝えたい言葉だ。

チマが出来上がったら次は上のチョッキ部分である。チョッキに関しては、薄黄色のチョッキを知り合いから貰い、染料で染めてアレンジする事にした。休日に1人学校に来て、コンロ上の鍋にチョッキと染料を入れた。それを小割でかき回しながらグツグツ煮込んでいる私の姿は随分と滑稽だったであろう。 通りすがる人々の視線が痛かった。

くすんだ緑色に染め上がったチョッキは麻のチマにぴったりだった。チョッキの布の上からアクリル絵の具で彼岸花を描いた。

こうして私のチョゴリは完成した。

完成した日、私は学校の最寄り駅の前でチョゴリを着てパフォーマンスを行った。駅前に立つ私を様々な反応をしながら通り過ぎる人々。一風変わった 者を見るその反応は日本の縮図のように感じた。

私は自分の通う朝鮮学校のように素晴らしい場所が他のどこにあるだろうかと思う。

学校で先代が血と涙で守ってきた言葉を使いこなす。自国の民族衣装を纏い生活する。異国の地でこのような事が出来る学校が今まであっただろうか。 このことをより多くの日本の方々に知って貰いたい。日本と朝鮮のそれぞれ良い所をお互い認め合う。もちろん簡単な事ではないが、決して不可能なことではない。

自分がそれを行うには自分自身が「独立」することだ。

「我々の存在意義とは」。

それを今日も問いながら私は生きる。

高1 チャン・ミョンヒ